骨董品ビジネスを始めよう!

「道楽」は崩れた感じがしますが、「趣味」は人生の糧のようなもの。道楽に陥らない、骨董収集の手ほどきと、単なる趣味でなくビジネスに繋げる道筋を紹介していきます。

仏像美術

仏像美術

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、教典、仏具、仏像と範囲が広いですが、ここでは仏像に絞って説明します。

国別に大きく分類すると、インド、東南アジア、中国、朝鮮、日本に分けることができます。

インド・ガンダーラ仏像

仏像美術を目指す人は、このジャンルを勉強するといいでしょう。

石像を中心とし、小品の中に銅製の物が見られます。

ヒンズー教の神像が圧倒的に多く、次いで仏像になります。

インドやガンダーラの彫像は石窟寺院の壁面や基壇部分に刻まれたものが多く、そのほとんどが浮き彫りになっています。

女神像などは腰や乳房が写実的でエロチシズムを漂わせており、そんな女神像を見ながら修行する僧の苦労が思いやられます。

石室は赤色砂岩が多いですが、場所や時代によって数種類のものが用いられています。

マトゥラやサルナートでは赤色系の砂岩が多く、ナーランダの作品は玄武岩、ガンダーラは黒色片岩が多いです。

他にガンダーラやスワトー地方ではストッコ(漆喰)が使われています。

日本のコレクターは、汁粉ロードの東西交流というドラマと結び付け、ガンダーラの仏像に強い憧れを抱いています。

かなりの数が日本に渡来していますが、コピー商品も数えきれません。

有名オークション会社の出品でも贋物が出ることがあります。

中国の仏像

仏像の材料はありとあらゆるものが使われています。

中でもコレクターに人気があるのは、銅の上に金メッキをした金剛仏でしょう。

中でも北魏や隋唐時代の作品は作行も素晴らしく、愛好者が多いです。

見分けるのに一苦労するような贋作も出回っています。

そこで、これをチェックするのに画像の拡大というテクニックを用います。

仏像を作っている本体は銅または銅合金です。

これは時間が経過すると表面が酸化し、メッキをしていても錆びます。

合金は錆びにくいのですが、昔の技術では完全な合金が作れず、銅が他の錫や鉛と上手く混じらず表面に浮かび上がっています。

そんなところは腐食しやすく、緑青が噴き出ます。

すると、鍍金を下から錆が持ち上げ、鍍金部分が割れてめくれるように剥がれ落ちます。

贋物は仏像を薬品などで痛めておいてから鍍金を施し、上から擦って一部を剥がし、古く見せています。

だから腐食してできた穴に鍍金が食い込んでいます。

朝鮮の仏像

朝鮮の仏像で一番有名なのは、ソウル国立中央博物館にある半跏思惟像(6世紀後半・高句麗の作)です。

新羅時代の像では、金剛如来立像の優品が知られています。

一部の作品にはトリバンガという三屈姿勢を取る物や、腰をやや前に突き出したインドや盛唐の影響を受けた像もあります。

高麗時代に入ると観音菩薩像が多くなり、優れた仏画も描かれています。

平安~鎌倉時代にかけて日本に入ってきた物もあり、寺院の本尊としてまつられています。

李朝時代に廃仏が行われたので、高麗仏や仏画は日本の方が多く残っているといわれています。

高麗好機の仏像には、中国元朝の影響を受けたラマ風の作例が見られます。

中国の影響を受けつつ、朝鮮半島独自の様式を加味しており、中国の仏像と比較して見ていくと分かりやすいでしょう。

東南アジアの仏像

材は砂岩が最も多く、次いで青銅(ブロンズ)です。木彫りもあるにはありますが、古くても17世紀以降になります。

2世紀頃よりインドからヒンズー教や仏教が伝わっていて、その流れを汲んでいます。

●カンボジア

最近ネット上に多くのクメールの石像やブロンズ仏が出品されていますが、その多くがコピー品です。クメールの歴史は、現在のベトナム、オケオあたりに扶南国が建国されてことに始まります。

4~5世紀頃、インドから伝わったと考えられる砂岩の仏頭がカンボジア南部のアンコールボレイ付近で発見されています。

6~7世紀頃、扶南の勢力が膨張し、優れたヒンズーの神像が刻まれました。中でも有名なのが、プノンペン国立博物館にあるドルガ(女神)像のトルソです。

次いでプノム・ダ・コークリエン、プラサット・アンデェットという風にプレ・アンコール時代の像が作られていきます。

プレ・アンコール時代の彫像は極めて貴重で、数千万円という落札価格で競り落とされています。

9世紀頃、クメール人はカンボジア北部のアンコールに都を移しました。

その時、クレン山に王宮寺院を造ったことから、この時代の彫像様式をクレン様式と呼ばれています。

その後、プレアコー、バケン、コーカー、プレルーブ、クレアン、バンテアイスレイ、バプオン、アンコールワット、バイヨンという山上の王宮寺院が築かれ、その名を冠した様式はおよそ13世紀後半まで続きました。

寺院の中にあった仏像や神像は、遠い昔から海外に運び出されており、地下深く埋められていた物もフランス植民地時代に多くの遺跡から掘り起こされ、海外に運ばれたり売られたりしました。

クメール美術はアジアにおける最も偉大な分野であり、ヨーロッパ、とりわけフランスやドイツ、スイスなどにコレクターが多いです。

アメリカでもメトロポリタン美術館などに優品が収蔵されています。

地理的には近い日本は、このジャンルの収集や研究は大きく遅れています。

日本を代表する寺院でクメール彫像の展覧会が行われた時、大手新聞が取り上げるような規模だったにも関わらず、パリの著明な美術館の学芸員から出品物のほとんどが疑わしいと指摘を受けたものだったのです。

石(特に砂岩)は元々時代があるものなので、少し古色をつければ古びて見えます。

クメールの彫像は王宮工房の作で、極めてリアルに作られており、数万~数十万でオークションに出ることなど絶対ありません。

●ラオス

近年まで、ラオス美術はほとんどのコレクターから無視されていました。し

かし、ASEAN各国の経済発展に伴い、ラオスの経済も大きく伸長しており、観光やビジネスでラオスを訪れる人が多くなり、ラオスの工芸品が注目されるようになっています。

最も人気にあるのはテキスタイルです。多くの人たちの努力で昔の手織り技術を今も守り抜いています。

伝統的な草木染めによる絹織物は、東南アジアで最も素晴らしいものの1つに数えられています。

仏像は、他の東南アジア諸国のように石彫や金剛仏は少なく、ほとんどが木彫です。

仏師が刻むものではなく、近くの農民や商人が自ら彫り上げ、寺に寄進するのです。

寺院に納められた仏像は1ヶ所に集められ、時折払い下げられます。

時が経った木彫仏は風雨に洗われ、太陽に焦がされ、まるで円空仏のようになっています。

画一的な仏師の作像とは異なり、それぞれ人々の喜怒哀楽を表現しているようです。

かつては1000~2000円程度で購入できましたが、この頃はバンコクあたりでも5~10万円くらいします。

以前、旅行社やビジネスマンやバイヤーが持ち帰った物が時々サイトに出ることがあり、現地より安いこともあります。

●ミャンマー

つい最近まで閉ざされた国だったミャンマーは、今も仏教が日常生活の中で生きている国です。

人々は寺院やお坊さん、仏像などを大事にしています。

9~12世紀頃、ミャンマー中北部パガンで小乗仏教が花開き、最盛期5000ものパゴタが築かれました。

パガンではピュー様式、10~11世紀のパガン様式、12世紀のアラカン様式などの石像や金剛仏が製作され、その多くは王宮工房の作といわれています。

今後の経済発展によって、目にすることの少なかったミャンマー仏を見る機会も増えることでしょう。タイの骨董市場で、ミャンマーで彫られた新作の大理石や木彫仏がたくさん売られています。

アメリカやヨーロッパの人々がインテリアとして買うのだそうです。日本にもかなりの数が入ってきており、ネットオークションで見ることができます。

●タイ

13世紀頃、雲南から南下したタイ族が作った王国が現在のタイ王国の始まりです。

カンボジアの支配から脱したタイ族は、スリランカから上座部仏教を招聘し、国教と定めました。

スコータイ物の表現はスリランカにその範を取っています。

顔は卵形で頭頂部に火炎型の突起をつけ、左肩からサンカディという絹布が下りています。

初期の仏像は絹布が上方で止まり、後期のものはへそのあたりまで伸びています。

半跏趺坐という座り型を取っていて、座仏は接地印を結んでいます。遊行仏という他にはあまり例のない形もあります。

14~15世紀にかけて北部ラオスから西へ移動してきたチェンセン王国の勢力の様式はチェンセン様式、あるいはランナータイ様式と呼ばれます。

スコータイ仏より顔が丸く、頭頂部に擬宝珠のような突起をつけています。

座り方は結跏趺坐です。

ついで、15~16世紀初めにかけて、都はチェンマイからアユタヤに移り、アユタヤ様式の仏像が作られます。

初めはスコータイの模倣でしたが、後に火炎状突起がなくなっています。

頭頂部が長く高い宝珠型になっています。

ダヴァラヴァティという古代モン国の美術様式が基礎となっています。

18~19世紀に今のバンコク王朝の様式になると、装飾性が強くなり、像の身体全体に飾り物をつけています。タ

イは鋳造技術が高く、土産物まで昔の技術で作像しているので古色があり、古い時代の仏像と紛らわしいものがたくさんあります。

オークションで年代、様式、国名などが説明されていない分類では、誰も入札しない時代に入っています。

ネットオークションでも出品者はそのあたりのことをきちんと説明しておく必要があります。

日本の仏像

奈良は1300年前に都が置かれていたこともあって、寺社仏閣が多く、街全体が骨董品のような場所も少なくありません。

しかし、794年に桓武天皇が平安京に都を移して1200年が経ち、奈良の骨董は遙か前にどこかにいってしまっています。

しかし、外から来る人は骨董があると思っているから、その期待の答え、古い仏像や骨董に似せた品をたくさん里帰りさせています。

これを奈良物というそうです。

「この誕生仏、少し歪んでいるけど、大丈夫かい?」「火中もんですからね。何度も戦火に遭っているんです」このような会話が、骨董屋でやり取りされているそうです。

戦火といっても太平洋戦争ではなく、平安末期の平重衡や戦国時代の松永弾正(久秀)の南都焼き討ちのことです。

「箱書は……天平勝宝四年か」「滅多に出ないんですよ。前の持ち主の偉い先生が記したものです」「四年というのは、なぜ分かるの?」「誕生仏の背中にあるでしょ?」「よく見えないが……」「偉い先生ですから、年号が読めたんでしょうね」と、こんな話は山ほど。誕生仏が火中物というのはお約束みたいなものです。

火の中にあると全体に変化が起き、一部だけ溶けるということは少ないです。明治頃、新品の誕生仏を七輪にかけ、適当なところで引き出して火中物を作ったという話もあります。

物理や科学的に判断を加えることも骨董収集には必要です。

日本の仏像には手の込んだ物が多いので、ネットに購入する時、各所の画像を拡大して照合しましょう。

仏像美術のポイント
1.仏像の様式は時代ごとに変わっているので、時代を読む2.基本をマスターすると、気づくことがある3.文化は異にしていても、それぞれ共通点がある。それがどう変わるかを捉える

4.耳、目、口の位置を比率で覚える

5.正中線に沿って像のバランスが正しいか検証する



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